「水平社会の道標」その先頭に立つ部落解放運動の構築を!

〜部落解放同盟田中支部創立100周年記念集会が開催される〜

 

 2022年11月18日、ホテルオークラ京都において「部落解放同盟京都府連合会田中支部創立100周年記念集会」が開催されました。

田中水平社創立記念プロジェクトとして、支部記念集会を開催するにあたり、3年前から実行委員会・準備会を立ち上げ、コロナ禍の社会情勢を鑑みながら、田中水平社創立に合わせて今春に開催予定でありましたが、予想外にコロナ禍の状況の悪化を辿りました。

記念集会開催にあたり、初代京都府水平社執行委員長、田中水平社の支部長である寺田清四郎さんの玄孫にあたる地元の若き青年の西村氏に資料提供や記念写真集の作成など、協力いただきながら、ようやく記念集会を開催することが実現しました。

明治維新後に出された解放令により、穢多・非人などの被差別部落民は形の上では封建的な身分制度から解放されたが、差別が残り多くの部落民は劣悪な環境下におかれ、実質的な差別解消にはならず、この現実を払拭するため、部落民自らの力で部落の解放を勝ち取るための運動を構想し始め、我々の祖先は血の滲む思いで立ち上がり、1922年3月3日、京都市岡崎公会堂(現ロームシアター)にて全国水平社創立大会が盛大に行われました。

「人の世に熱あれ 人間に光あれ」と結ばれる水平社宣言は、日本最初の人権宣言であり、人間解放を願う水平社創立記念日から、わずか1ヵ月後の42日に全国に先駆けて、田中西河原の親友夜学校跡(1906年上田静一先生 開校)に建てられた養正託児所おいて、地元住民はもちろん、西方万吉さんや南梅吉さんをはじめとする、全国水平社の幹部や各地の代表者など、総勢500人が結集し、田中水平社が創立されました。

また、田中水平社創立と同時に京都府水平社も創立する運びとなり、地元田中の寺田清四郎さんが京都府水平社執行委員長、田中水平社支部長を兼務する形で就任しました。

以来、差別糾弾闘争、生活擁護の闘い、労働争議の支援など戦前の京都の田中地区の部落解放運動のリーダーとしての役割を担ってこられ、戦後の部落解放委員会から部落解放同盟へと名称を変えながら、今日に至るまで朝田善之助さん、駒井昭雄さんと京都府連の委員長を輩出し、真の京都の部落解放運動を牽引されてきました。

我々の祖先は、厳しい闘いの歴史が物語るように、戦後のオールロマンス事件を契機に、強固な行政闘争を展開し「同和対策審議会」答申、「同和対策特別措置法」制定などにより、部落の住環境・教育・福祉など、大きく改善されました。そして部落の完全解放をめざし、偉大な先輩たちと共に、多くの苦難や厳しい弾圧にも屈せずに組織内部の対立や分裂など紆余曲折をのり越え今日に至っています。

 そして、主催者代表のあいさつとして、梅井支部長より「部落差別は100年を経ってもなくならない現実を目の当たりにし、実直に記念していいものか?悩みましたが、やはり先人たちの熱い闘いを誇りに思い、歴史を継承して節目ととらえ、人権が尊重される社会の構築を目指し、さらなる団結をするための機会と捉え、成功裡に終えたいと思っている」というあいさつが述べられました。

 来賓あいさつにおいては、部落解放同盟京都府連合会の西島委員長(兼中央本部執行委員長)、部落解放同盟京都市協議会の木下議長、京都市を代表して左京区役所の船木副区長よりあいさつを受けていきました。

 続いて、成田副支部長の乾杯、祝電披露が行われた後、歓談に入り市内各支部の仲間や来賓の方々と交流を深め、また、功労者の表彰を行い、代表して村岡副支部長から答辞をいただきました。

最後に大津書記次長から、部落解放に向けて、さらなる闘いを構築していくとともに、部落の完全解放と人権政策の確立に向けた団結ガンバローで記念集会を終えていきました。