中京いきいき市民活動センターインタビュー
聞き手 s:市協栄井事務局 話し手 M:宮崎茂専務理事 n:中川義美センター長
s:さっそくですが、エントリーの経過も含めて自己紹介をお願いできますか。 M:委託の経過は、97年に朱四学区の高齢者昼食入浴サービスという取り組みを同盟支部と自治連合会の共催で始めたのがきっかけです。97年というのは最後の5年間の法律ができた年で、次はもう法律を求めないという解放同盟中央の方針でしたので、この5年間で体力作りをしていこうという意図もありました。支部の女性部が地域女性会や社協と一緒になって弁当を作り、お年寄りに体育館に来てもらう事業でした。 s:最初呼びかけたときは、スムーズにいったんですか。 M:いや、大変でしたよ。中川さんはそのとき自治連の側にいてくれて僕は同盟の側でした。 n:もう差別は解消したと、一部反対をする市会議員もいて私が説得しました。まだまだ底辺には差別が残っているじゃないかと。やはり地域と地域外の人との交流を持たないことには良くなっていかない。お互いに協力し、手を携えて取り組んでいこうと言うことで、自治連の役員さんたちには賛成をいただき、各種団体全て一つになって協力してもらいました。それぞれに任務分担をしながら良い方向でまとまって今日に至っています。 s:連合会は、協力的だったんですね。 M:時には差別的な発言もありましたよ。そういうときに支部としては「差別しやがって」という話ではなく、ここは耐えなければと。私は当時府連の書記次長をしていましたが、ここを克服しないと次のステップに上がれない。これは、上り詰める一つの課程で出てくる矛盾だということで乗り切ったんです。それから、97年3月にはじめて「朱四学区春の集い」を行いました。毎年春に1度だけだと、その間があきすぎてしまうということで、2000年は12月に「あかしやふれあいまつり」を開催し、それからは7月の盆踊りと12月のふれあいまつりと年2回の事業を継続しています。年に2回することで、関係性が生まれてくる。一緒に汗をかいたもの同志は、次はどうしようとか共通の思いを持ってくるんです。そんな中から生まれてきたのが、「保健医療福祉のネットワーク」です。具体的には、お年寄りの孤独死が地域内外にあるよというので勉強会を立ち上げました。そのときのメンバーが今のあかしやネットワークの母体になっている人々です。 s:これは、京都市の部局からきてもらって、勉強会をしたということですね。 M:そうそう。 n:私自身民生委員の学区の代表なんです。孤独死をなくすということで、民生委員から老人福祉委員さんも含めて共有する部分があるし、宮崎さんからの提案を受けて、学区で話を進めていこうということになりました。そこで各団体の名簿を集めてどのような巡回をするのか協議しました。 s:本当にこの孤独死の問題は、近年ますます重要な課題になっていてやっと京都市も一般的に取り組みをはじめたところですが、その時期に取り組まれたというのは先駆的だったと思いますね。 M:朱四学区は37箇町あるんですが、これを6つのブロックに分けて、ここに二人ずつボランティアさんをつけて、安否確認をするんです。2002年、自治連にお願いして、年度当初の会合で調査の目的と、記入のお願いの依頼文をまわしました。 s:毎年更新して正確なものにしているんですね。 M:精度をあげていくということが必要ですから、ずっとやっています。パソコンを2台おいて、1台を情報漏洩の危険があるので、これを専用機として、65歳以上の人が新しく入ってきたら、自動的に1年ごとに1歳年をとるというようなプログラムにしています。亡くなった人は、2年後には、データからもなくなるように。これをネットワークの勉強会で取り組んできて、NPOはこの後につくりました。 s:NPOの取り組みとしては? M:それは京都市がいわゆる隣保館の横出し事業として、地域交流促進事業をNPOでしてくれないかということです。でもその内容は、この地域ですでに行っていた盆踊りであり、ふれあい祭りだったんです。 s:京都市からの提案で、始めたことではないということですね。 M:それまでは、自治連と同盟が予算として10万円ずつを出しあって、行政にも隣保館にも全く依存することなく、自前でやってたことです。そこへ、横出し事業を京都市の方からしてくれないかということがあって、行政もできることはサポートする体制になりました。 s:横出し事業は、まだコミセンになる前ですか。 M:そう、まだ隣保館という名前の時です。 n:あの頃はまだ活気がありました。それ以降コミセンそのものの人材が減ってきたのは事実ですわ。 M:横出し事業するにあたって予算をつけます。人件費も入れます。その代わり職員を引き上げたということは、京都市にとっても財政的に軽減されるということです。で、こちらも職員を二人採用しました。そこで年に2回の事業と講座事業というのをやって、「歩こう会」などの「老人事業」それから陶芸教室、パソコン教室。だから町内だけではなくて、学区のお年寄りも交流事業に参加していて、これは隣保館の職員ではできないことでした。 s:事業を通じて人との関係が見える関係になって、その情報交換が名簿づくりに生かされているということですね。 M:名簿には緊急連絡先もつくっているので、疾病や持病、血液型も書き込んだものを、自宅電話の見えるところにぶら下げてもらってます。中京消防署と協議して作りました。今はもう一歩進んで、地域包括支援センターと連携を持って、安否確認、見守りも日頃の付き合いのボランティアさんに走ってもらって、身内の方につないだりします。 n:この間も戸をたたいても出てこない方は、家で骨折をしたんですね。起きられない。台帳があるので、包括センターに連絡をして、発見が早くて入院までこぎつけたということもありました。目に見えるところで成果が上がっているのは事実ですね。毎日あってはいけないことですが、孤独死がなくなったのは良かったです。 M:2ヶ月に1回のケア会議があって、悪徳商法の勉強会もしてるんですが、50万円の布団を買わされそうになった事例を未然に防いだこともあります。もう一つは、各区の防災総合訓練があって、中京では、たまたま朱四学区でやることになったとき、何かここの特徴を出そうということで、防災訓練は普通、元気な人に動員があるのですが、実際、災害になったら、災害弱者という人たちがいると。なんとか、車いすとか、一人暮らしのお年寄りに参加してもらえないかということで、11月で少し寒かったんですが、当日13名ほど来てくれました。電動の車いすに乗った90歳過ぎの人もおられて、日頃話ができない人と話せたと、逆に喜んでもらえました。 s:昨年4月、いきいきセンターへの移行にともなって、指定管理者にエントリーするわけですが、そのときに、財団法人部落解放推進協会ということでされているんですが、その理由は何だったのでしょうか。 M:本来NPOあかしやふれあいネットワークで受けることも可能でしたし、実績でいっても十分だったのですが、あえて、財団法人でいったのは、高齢福祉の取り組みをできれば他の地区にも広げたいという思いがありました。あかしやふれあいネットワークは、あくまでも朱四学区の小さいエリアを対象としたNPOだったので。結果的には、これまでの実績がないところは、難しかったですが。 s:現状では、管理運営、予算執行も含めて予定通りの運営ができてますか。 n:そうですね、年間の行事はうまく運んでます。それと、立地条件が比較的いいので、貸館の利用も増えています。料金の面でも魅力があるんじゃないですか。 s:利用者の男女比率はどうですか。 n:年金生活の方や、劇団関係者の方も比較的も男性が多いですね。 s:年齢層は? n:年齢層はやはり年配の方が多いですが、劇団関係の方は借りる回数が多いから、トータルでは若い方の比率が高いかもしれません。 s:借りられる時間帯は? n:午後や、やはり夜間が多いです。こちらが教室などをすると、年配の女性は集まりますね。 s:地域や学区を越えて遠方からもいらっしゃいますか。 n:そうですね。検索して市内中からやってきますね。中京区民版に事業の広報をするとかなり反響があります。区役所などは、一般の人には貸さないし、学校は地域の各種団体になるし、一般の人が借りられる施設というのは重宝されていると思います。 s:センターのコンセプトをあらためて聞かせていただけますか。 M:やはり福祉で人権のまちが大きなポイントですね。どんな方も気軽に来れて、相談できる場所でありたいと思います。 s:そういう意味で言えば、施設面での課題がありそうですね。 M:施設面についてのアンケートをとってます。貸館の苦情や要望。エレベーターがないことやトイレが和式だということが、高齢者や障害者にとっては大変な面です。 s:最後にこれから進化する方向性、豊富をお聞かせください。 M:評価委員会で、中京は安定しているが広がりに欠けるとの指摘もあるので、それはこれから考えていかなければと思っています。これまでの取り組みや、地元との関係性も大事にしつつ、プラスで新しいものを取り込んでいかなければならないと思っています。地元の両洋高校や、右京区の京都外大付属高校など学校との連携も始めていますし、センターの利用団体の発表の場を11月の集いでは提供しようと考えています。それから、鳴滝支援学校の生徒さんには、ビルメンテナンスや掃除の依頼をすることで地域になじんでもらったり。 s:今後もさらに広がりがつくれたらいいですね。今日はお忙しいところありがとうございました。
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