第52回人権交流京都市研究集会

 

はじめてのリモート同時配信の試み

〜人権尊重への思いを載せて〜

 

 

 52回人権交流京都市研究集会が223日、京都市南区の京都テルサで開催されました。新型コロナウイルス感染状況にかかわり、開催が検討されましたが、このような大変な状況において、かねてから困難を抱えてきた人々にこそウイルスは猛威にさらされ、あらたな人権侵害に苦しむ方々もいる。切実なメッセージを共有するためにも開催していこうと決意し、11月におこなった第1回実行委員会のあと4か月間準備をしてきました。

 参加したくても、会場まで足を運べない方々もいるということで、初めて、YouTubeでのリモート視聴も可能とし、参加者は、会場へ340人、ウェブ視聴で100人と、例年とほぼ変わらない規模の集会となりました。

 

 午前はテルサホールで全体会がおこなわれ、澤田清人実行委員長(京都市立中学校教育研究会人権教育部会会長)が主催者あいさつをおこない、自身が本集会に参加するようになってから30年がたったこと、関わり始めた頃に必ずあった有名なプログラムが「私の歩んできた道」という、部落で生まれ育ってこられた方の厳しい差別の現実を語る講演だったことと話し、そこで話される内容は衝撃的で大いに勉強になったこと、特別施策が終了し20年近くが経過した今、またそのプログラムを復活することにしたこと。「交流し、ときには議論を闘わせることで築いていく信頼関係が、支えあい安心して生きていける世の中をつくることにつながる」と述べました。

 来賓挨拶では、京都府連の平井斉己書記長が、主催者挨拶を受け、「私自身も自分史が語れるようにまだまだがんばりたい」と述べ、つづいて京都府の佃賢治府民環境部長と京都市の別府正広文化市民局長が、それぞれ知事と市長のメッセージを代読しました。

 基調提案は村上光幸さん(田中支部)と中村隆仁さん(京都市小学校同和教育研究会)がおこないました。村上さんは、コロナウイルスの感染拡大をもたらした社会的背景とその克服への道筋へ願いを込めた運動の側の提起を人権と地球環境の多様性の尊重をリンクさせながら提案しました。中村さんは、同和教育にかかわってきた諸先輩先生方の情熱や思いを、具体的に紹介しつつ、その取り組みを引き継ぐことで困難を抱えた一人一人の児童・生徒と普遍的に向き合うことの大切さを教師の立場から提案しました。

 インターネットの普及に代表される現代社会の変化と同時に、変わらない差別意識の克服のために、本集会のスローガンでもある「共生・協働の社会創造」へ向け、共に歩んでいこうと呼びかける集会宣言を楳村千代美さん(改進支部)が提案しました。

 

  休憩をはさみ、記念講演では「部落に生まれ 生きてきた」と題して、野口英代さん(90才)と、宮崎茂さん(67才)のお二人がそれぞれの人生の歩みを話しました。宮崎さんは、母の日雇い労働である失対現場に連れられ、一人遊んでいた記憶から小学校低学年、教科書無償化がまだ始まらなかった時代に、姉が妹を背負って通学するも、ほとんど出席できなかった学校の思い出などを語りました。野口さんは昨年、「自分史」を書きあげ、その全文を集会冊子に掲載しましたが、九人兄弟の寺の子どもとして成長する過程で、子どもながらに部落での暮らしの中で「自分は何者であるか」という疑問に苛まれながら、答えを探しもがきつつ、兄や母を戦争中に失った体験などを、明晰な記憶とともに語り、会場に感銘を与えました。

 

 

 午後からの分科会は、通常5つを設定しているところ、今回は会場の関係で第1に「部落と人権」、第2に「多文化共生」と、大きく二つの分科会を設けました。第1分科会では「公教育における部落問題の取り組みの充実に向けて」をサブタイトルとし『映像で見る人権の歴史』シリーズの現在まで18巻すべてかかわった上杉聡さんが、教育現場で現在必要な視点を講演しました。

 第2分科会は、テルサホールで劇団タルオルムが伝統民謡や楽器演奏を取り入れながら演じる「綿毛のように」の演劇を公演。後半は、日本語教育や芝居に携わる4人の女性によるシンポジウムが開催されました。

 ライブ配信についても、特に映像や音声の乱れもなく伝えられ、アンケートでは「外出しにくい状況で参加できてよかった」との感想を多くいただきました。