部落解放・人権政策確立要求京都市実行委員会 

第35回大会を開催-新会長を選出

 

講演は「宗教がもたらした差別『是旃陀羅』とは」

 

  

129日、京都府部落解放センターにて部落解放・人権政策確立要求京都市実行委員会第35回大会が開催され、60人が参加しました。司会の部落解放京都地方京都会議の川戸英美さんが、開会のあいさつをおこない、議長団に京都市小学校同和教育研究会の大西一幸さん、京都市中学校教育研究会人権教育部会の安田知史さんが選出されました。

 はじめに、市実行委員会より加藤章善会長が「本日で退任、ということでなかなか感慨深いものです。来年は水平社創立100年という節目の年となりましたが、73歳の私が学生だった頃、島崎藤村の破戒という小説を読み、主人公丑松の心境がよくわかったものです。それから、浄土宗の京都教区の役を任され10年。皆さん方との運動とも長くかかわり、その成果としては銀行や、警察などかつては考えられなかった職業にも広く門戸が開かれる状況となりました。これから先も長い道のりですが、皆さん方にご奮闘いただき、差別事象がおこったならば、「それはいかんで」とひとこと言える人間が一人でも増えるように。活動を続けていただきたい。」と、挨拶しました。

 来賓あいさつにうつり、京都府実行委員会を代表して西島藤彦副会長が「部落差別解消推進法ができて5年が経ったが、実効性は高まっていない。そこで地方議会の条例を作っていこうと全国的に運動を展開しており、各地で実現している。亀岡、南丹市では年明け、山城の各市町村でも統一してつくっていこうとの動きがまとまりつつあり、府議会においても機運が高まっている。全国の運動と連動して京都においても同様の取り組みが広がりつつある。人権委員会の設置を含む人権法を作っていくことも喫緊の課題であり何としても実現していかなければならない。アジアでは北朝鮮、中国、日本だけになく、人権理事国である日本に国内人権機関がないことは残念な限りだ」と訴えました。

 次に京都市を代表して、古川真文文化市民局長が「コロナ差別が問題となる一方で、支えあい乗り越えていくという市民からのメッセージもいただいており、多様性を認め合い包摂しあう共生社会をめざし全力で取り組んでいく」との市長のメッセージを読み上げました。

 今年も昨年に引き続きは感染症拡大予防の観点から、ご来賓については京都市議会及び労働組合の関係についてはメッセージでの対応をいただきました。部落解放同盟京都市協議会副議長、木下松二さんがメッセージの読み上げをおこなったあと、来賓の方々が退席され、議事の進行に移りました。

村上光幸事務局長が34期の活動報告を行い、京都商工会議所の荻野達也さんが会計報告。京都人企連より荒川彰さんが会計監査報告をおこない、参加者の拍手で確認しました。続いて、事務局長より基調提案、また会計より第35期予算案の提案があり承認されました。役員人事の選出を、小林茂市協事務局次長が提案しました。新会長には臨済宗妙心寺派法務部長の吹田良忠(ふきた りょうちゅう)さんが選出され「これから共に、頑張っていきたい。よろしくお願いします」と挨拶しました。

最後に、大会決議案が、同和問題に取り組む京都府宗教者連絡会議の竹内文成議長から読み上げられ、全員の拍手で確認されました。

最後に閉会挨拶を、実行委員会副会長である宮崎茂市協議長が行い、「人権3法の趣旨がこれまでの法律と違う点は、被差別当事者に対する施策ではなく、差別する側の人に対して、差別はだめなんだ、解消されるべきなんだ、とする法律です。全く発想の違う法律であり、その意味でも私たちはこうした場で引き続き自己研鑽していきたい。条例制定が府内で実現しつつある。条例制定が即差別解消とはならないが、作っていくことが自治体の住民に対するアピールでもあり、共に取り組みを進めていきたい」と述べました。

全ての議事を終えた感謝とともに議長2名が降壇し、第35回大会を終了しました。

 

 民主・市民フォーラム京都市会議員団団長 天方ひろゆき 様、公明党市会議員団団長 湯浅 光彦 様、自治労京都市職員労働組合 中央執行委員長 森本尚秀 様、立憲民主党代表 泉健太 様、立憲民主党幹事長 参議院議員 福山哲郎 様、国民民主党衆議院議員 前原 誠司 様、立憲民主党京都府連幹事長 京都府会議員 田中けんじ 様、立憲民主党京都府第5区総支部長 山本 わか子 様、社会民主党京都府連合 代表 中村 在男 様  

    ありがとうございました。

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  引き続き京都市実行委員会の独自事業「考えてみませんかーあなたの人権、わたしの人権」が開催され、今年は「宗教がもたらした差別『是旃陀羅』とは」と題し、東本願寺僧侶の阪本仁さんに講演をいただきました。以下に要旨をまとめます。

  旃陀羅(センダラ)問題というのは難しい問題。紀元前約1千年以上前の話である。現在の職場で2013年に具体的にこの問題の担当となったが、私自身被差別部落の出身なので、僧侶の身と出自の問題とでまた裂き状態となる。私にとって、いまだに消化できない問題です。栴陀羅という文言は「観無量寿経(観経)」にありますが、このお経をあげるかぎり心が痛いと言われたとき、私としては大変ショックだった。そこからまだ立ち直っていませんが、皆さんと少しでも分かち合えればと思って、今日はお話しさせていただきたい。

 旃陀羅という言葉は、もともとサンスクリット語を中国で漢語に訳したときにあてた言葉であり「チャンダーラ」となる。インドの部族名であり征服に対して最後まで戦った部族としてアンタッチャブルに組み込まれ、チャンダという獰猛という形容詞と重なり差別語になったというのが、有力な説である。

 日本に仏教が伝来した7世紀から11世紀の間に、差別因習が生まれてきた。仏教の教えを広めたのと同時に、カースト制度が思想として入ってくる。為政者、権力者にとっても国の統治手段としてインドや中国の教えを取り入れていく。

 この問題が解放運動の俎上に載ったのは1934年。水平社の最初の書記局長をした井元麟之さんが熊本で、説教するお坊さんが「栴陀羅は日本で言うとエタのことなり。これは前世のむくいだから仕方がない」と言ったことに対し、これはあまりにも差別的な布教であると問題になって、申し入れをした。大々的な抗議は1935年と1940年、東西両本願寺の首領がそれぞれ出てきて、松本治一郎さんを交え会談をした。「反社会的なものが旃陀羅であると仏教が解釈をして差別を補完してきたのではないか」井元さんはこのことがどうしても許せなくて「訂正か削除を求める」と激しく迫った。井元さんは西本願寺の門徒さんで、1982年に亡くなるまで50回も西本願寺を訪れて訴えた。西本願寺としては、戦時中に権力におもねて、経典を書き換えたという苦い歴史があり、その反省から「一字一句の削除もならんというのが原理原則になっていた。

 東本願寺では1962年に「学習の手引き」という本が出版された。今日、資料でお渡しした「『王舎城の悲劇』の物語」の現代語訳ですが、そこには、今お話ししたアジャセが母を殺そうとした場面は出てこない。そういう意味でこの問題は大変根深い。2013年に私たちのところへ広島県連から問題提起があり、一つは「学習の手引き」は誤記だということ。もう一つは是旃陀羅について1989年に東本願寺は差別発言だと認めつつも、それが差別経典にならないのかということ。広島県連の小森さんが言われたのは、差別語があるから差別経典ではないが、文脈において差別があるかどうかがその基準であると。そうした意味で、観経のなかで、栴陀羅が救われる場面はないのであって、そこは差別が棚ざらしになっていると。そこから8年経って、やっと出たのが今年628日、真宗大谷派宗議会と参議会での全員一致による「『是栴陀羅』問題に関する決議」です。

 是旃陀羅の解釈にとって、江戸宗学は「大悪」と言い、人間でありながら「きん獣」であるという表現が部落差別に大変大きな影響を与えた。漢文で書かれたものを読む経典は、みなさんは音読で聞いてもわからない。キリスト教との違いはそこにある。わからないからと言って、被差別部落の人たちの前で、母殺しをするのは、エタのやることだと、わかる言葉で読むことができるのか。そうすると、我々関係者も読めないという。なぜか。痛いという人がいるから、不愉快に思う人がいるからという理由。しかし、それでは問題は解決しない(差別はいけないと自ら認めて読めない、ということでなければならない)。

 私たちの解放運動はお互い尊敬することが大事だとする。経典を守ろうとして自己保身に走るのか。コロナ禍の時代にあぶりだされた、隣にいる人を加害者に見立てる強烈な差別心が、ポストコロナにおいて解消され、その後互いに尊敬しあえる世界をつくっていけるかどうか。関係を紡ぎあいながら、対話を続けていくほかには差別問題の克服はできない。栴陀羅という言葉によって、図らずも仏教として差別を生み出し、増長してきた歴史があり、それは払しょくされる必要があるのだから、今後も皆さん方と共同して考えていきたいと思います。