10.31 狭山事件の再審を求める市民集会

 

冤罪50年!いまこそ証拠開示と事実調べを!

市協からも15人が参加

 

 

39年前、東京高裁の寺尾正二裁判長により、石川一雄さんに無期懲役不当判決が出された1031日。午後1時より、日比谷野外音楽堂で「狭山事件の再審を求める市民集会〜冤罪50年!いまこそ証拠開示と事実調べを!」が開催され、約4000人が参加しました。京都市協からも15人が参加しました。

 

 開催にあたり、市民の会事務局長の鎌田慧さんが行ったあいさつは以下の通りです。

 

 

●冤罪50年という節目の大切な集会が開催されます。かつては人生50年とも言いました。石川さんは、冤罪という人生を50年生きてこられた。未だに名誉が回復しない。民主主義国家にある基本的人権がないがしろにされたままだ。人間としての名誉回復が必要。来年には再審開始に向けてがんばっていこう。

 石川さんの逮捕は、全くの別件逮捕であった。逮捕が不当。拘留も不当。これだけでも無罪と言える。しかし、運動は前進している。3者協議は15回行われ、これまでの秘密が開示された。その当時、字の書けなかった石川さんの貴重な上申書。この字を見れば、誰でも犯人とは別人と分かるはず。

 布川事件、袴田事件、免田さん、足利事件の菅谷さんも来られている。冤罪をはらすという連帯運動としても成功させていきたい。

 

続いて、市民の会代表の庭山英雄さんがお話しされました。

●狭山事件が起きたとき、私は狭山に住んでいて、その頃は、大学で別件逮捕の研究をしていました。それで、別件逮捕などというのをする警察の建物はどんなものかと、狭山警察署まで自転車で見に行きました。すると、警察の職務質問にあったので「取り調べについて研究しているので興味があって来た」と答えると「早く帰りなさい」と。会長に就任した頃、あの警察署はどうなっているかと、今度は車で探しに行きました。しかし、もう、そこに建物はありませんでした。それから50年。学者として、大学の教授として、弁護士として、狭山事件と関わりを持っています。検察と高裁に要請書を持って行きました。要旨を読み聞かせると、高裁の代表は「必ず手渡します」と丁重の姿勢で受け取りました。その姿勢の通りに動いてほしいと思います。50年間ずっと、この事件はおかしいと思い続けてきました。ぜひ公平公正な裁判をしてほしいと要望しました。

 

各政党からは、民主党 泉健太(党国民運動委員長 衆議院議員)

    本日は晴天であるが、石川さんの頭の上には晴天がない。戦後の混乱時に、権力が暴走し冤罪が生まれたのではないか。過去の過ちを糺す当然の取り組みであると考えている。2度とこうしたことが起こらないように、取り調べの可視化、人権委員会の設置へ、引き続き取り組んでいきたい。若い世代には、狭山事件を知らない人が増えている。語り継いでいくことが大切だと思う。

福島みずほ(前党首・参議院議員)

    弁護士の立場で、133点の新証拠が出ている。石川さんが捕まった当初の一番最初の文章が出てきた。「わたしはやっていない」文字は、角張っていて、全く違う人物だと、誰が見てもわかる。寺尾判決での証拠となった、犯行に使われた手ぬぐいが、石川さんのものではないということも明白になった。

 

 

 

●石川一雄さん本人からのアピール

「第3次再審闘争。不退転の決意で闘う。来年こそは再審を開始して、無罪を勝ち取ります。今年も短歌をつくってきました。

『えん罪を 訴え駆け抜け50年 まだ見ぬ春は 近きと信じ』」

 

●石川早智子さんのアピール

「きっかけがあれば、人は変われると言ってくれた人がいる。フェイスブックでも広がり、新聞でも数々取り上げられている。50年たっても、50年経ったからこそ、狭山を知らない人がいる。映画『SAYAMA みえない手錠をはずすまで』も完成した。狭山は動いている。今年から来年に かけてが大きなヤマ場です。皆さんのお力添えを心よりお願いします。」

 

その後も弁護団報告、基調提案、連帯アピールがあり、市民の会からは、宇井孝司さん、辛淑玉さんがアピール。集会アピールの採択と続き、最後は、部落解放同盟中央本部委員長 組坂繁之さんが閉会あいさつをして終了しました。

 

日比谷公園から常盤橋公園まで55分間のデモを、全員で貫徹しました。